2009年11月29日日曜日
日本語が亡びるとき
本書において、筆者は十分には述べていなかったと思われるが、英語の帝国主義とでもいえるような時代と雖も、まず前提とすべきは、我々日本語を母語とする者達は、日本語を用いる時に、最も繊細で奥深い思考活動ができるということである。
それにも関わらず、筆者が返す返す言及するように、我々日本人は緻密な思考活動を可能にするような日本語教育について心を砕くことがあまりにも少なかった。それは、日本人がたった百年前の作品も読めなくなりつつあることに如実に顕れている。これは先人が労を惜しまず蓄積した英知に我々が真の意味で接触し、我が物とすることができなくなっていることを意味する。我々自身の手で、過去の遺産を棄ててきたにも等しいのである。
そこで、筆者が主張するのは、まず知的思考の前提となる日本語能力を全ての日本人の内に育成すること、そして、英語を母語とするような人達と対等に、議論が出来る程度の英語能力を一部の日本人の内に徹底的に養成することである。
私は筆者の意見に概ね賛成である。確かに反復が多く、海に出ては潮に何度も岸に押し返されるような気持ちになる時がない訳ではない。しかし、これは情報過多の時代に精読することが少なくなった我々を考慮して、何度も述べておられるのだと理解した。
また、個々の点で(私の場合歴史認識)、異論が無いわけでもない。しかし、それを補って余りあるほどに、英語の世紀の中で考えねばならぬことを、専門家ではないが、日本語の運用者たる我々に切に訴えてくるものである。
本題と関係なきところで、唾棄すべき書に非ず。
我、将にこれを必読の書とせん。
2009年11月24日火曜日
新非核四原則
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」
この非核三原則には、
最も重要な原則が抜け落ち、大いなる瑕疵があると思わざるを得ない。
そして、その一つを付け加えて言うなら、
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず、
然れども、打ち込まれぬことが最も肝要なり。」
この新たなる原則によると、
最後の四つ目の原則のためには初めの三つの原則は破棄することも可なり、ということである。
かの戦争の時に我々がもし原爆を持っていたなら、
広島、長崎に原爆は落とされなかったであろうと考えるからだ。
とはいっても、私自身核兵器を持つことを必ずしも賛成しているわけではない。
核兵器を持つという行動が生み出す作用が
他国も軒並み核兵器を持つという反作用を生み出す可能性が大きいからである。
しかし、マスコミが言うように、唯一の被爆国として非核三原則を固持すべきといった、
あまりに純真で、無垢で、お人好しで、短絡的な思考を抱き続けることは、
核兵器を再び落とされない日本を作り上げる上では、
好ましくないことだと言わざるをえない。
いつでも、核兵器を持ったり、作ったりできるのだという、意思をちらつかせることで、
相手国の我が国に対する、核兵器または武力の行使を牽制し、
我が国を守るための、外交上のカードを手にできると考えるからだ。
2009年11月23日月曜日
然れども、足下も見よ。
先頃、私の考えに大いなる変化があった。
私は、常に先々のことに思い巡らし、
自分の足下をみることがすくなかった。
このように、私は気づいて、大いなる発見を披瀝すべく、母に言った。
「私は、気づいた。人と異なることをするというのは、
人と異なることと同時に、人と同じことをしなければならない。非常に大変なことだ。」
すると、母は言った。
「そのようなことは当たり前だ。今更気づいたのか。」
そのようなことは皆気づいていることなのかと、
少し、動揺して近頃暮らしていたのだが、
今日、茂木健一郎さんのブログで、
まさに渇望していた、私を元気づけてくれる言葉をみつけた。
「若いときに大切なのは、
足下のことをきちんとやると同時に、
「遠くをみること」だと思う。
望遠鏡で、できるだけ遠くをみる。
同時に足下をちゃんとしていないと、
いろいろなことがおぼつかない。」
ああ、このような言葉に早く出会っていれば。
しかし、過去の私がこのような言葉に出会っていても、
その時には言わんとすることは理解できても、
真の意味で理解はできなかったかもしれない。
少年よ大志を抱け、然れども足下も見よ。
私は、常に先々のことに思い巡らし、
自分の足下をみることがすくなかった。
このように、私は気づいて、大いなる発見を披瀝すべく、母に言った。
「私は、気づいた。人と異なることをするというのは、
人と異なることと同時に、人と同じことをしなければならない。非常に大変なことだ。」
すると、母は言った。
「そのようなことは当たり前だ。今更気づいたのか。」
そのようなことは皆気づいていることなのかと、
少し、動揺して近頃暮らしていたのだが、
今日、茂木健一郎さんのブログで、
まさに渇望していた、私を元気づけてくれる言葉をみつけた。
「若いときに大切なのは、
足下のことをきちんとやると同時に、
「遠くをみること」だと思う。
望遠鏡で、できるだけ遠くをみる。
同時に足下をちゃんとしていないと、
いろいろなことがおぼつかない。」
ああ、このような言葉に早く出会っていれば。
しかし、過去の私がこのような言葉に出会っていても、
その時には言わんとすることは理解できても、
真の意味で理解はできなかったかもしれない。
少年よ大志を抱け、然れども足下も見よ。
2009年11月22日日曜日
未来
この世の難しきことに、人の評価というものがある。
ある人が自分の過去と決別すべく、
新たなる気概をもってことに当たっている時でさえも、
評価なるものがその人についてくる。
評価は勿論過去を評価する他なく、
過去に汚点があれば、いくらその人が変化しようとしても、
そのことは一顧だにされない。
人が変わろうとするとき、つまり過去と決別すべく、
新たなる未来を創出しようとしている時、
その人の過去はその人を引き摺りにかかる。
今までと変わらぬのではないかと。
しかし、未来に望む者はかかる虚言に惑わされてはならない。
未来を創造する者は自らの過去と戦わねばならない。
それが、未来を創るということであるからだ。
一歩、一歩前進するしかない。
弱音は吐くものじゃない。腹に飲み込むものだ。
そして、輝かしい未来を創出し得た時、
その人の評価はあらたに作り出された過去により変わるのだ。
ある人が自分の過去と決別すべく、
新たなる気概をもってことに当たっている時でさえも、
評価なるものがその人についてくる。
評価は勿論過去を評価する他なく、
過去に汚点があれば、いくらその人が変化しようとしても、
そのことは一顧だにされない。
人が変わろうとするとき、つまり過去と決別すべく、
新たなる未来を創出しようとしている時、
その人の過去はその人を引き摺りにかかる。
今までと変わらぬのではないかと。
しかし、未来に望む者はかかる虚言に惑わされてはならない。
未来を創造する者は自らの過去と戦わねばならない。
それが、未来を創るということであるからだ。
一歩、一歩前進するしかない。
弱音は吐くものじゃない。腹に飲み込むものだ。
そして、輝かしい未来を創出し得た時、
その人の評価はあらたに作り出された過去により変わるのだ。
2009年11月21日土曜日
ふと感じたこと
夕方、帰宅途中に乗った電車の車内で、ある女の横に座った。
細身の若い女で、黒い薄手のコートを着ていた。
車内はそこそこ混み、立っている人もあるというのに、
どこで買ったか知らぬが、紙袋を横の座席に置き、足を組んで座っていた。
髪や服装など身なりはきちんと整えてはいるが、
如何に身を綺麗に飾り立てようと、意味はあるまい。
いくら飾り立てようと、自らのさもしい心根は隠せまい。
と、そんなことを考えているうちに電車はホームに着いた。
電車を降り、階段を駆け下り、駅を出た。
ふと、空を見上げる。
青白く光った三日月があまりに美しい。
In the tranquil landscape, man beholds somewhat as beautiful as his own nature.
という一節が頭に浮かんだ。
細身の若い女で、黒い薄手のコートを着ていた。
車内はそこそこ混み、立っている人もあるというのに、
どこで買ったか知らぬが、紙袋を横の座席に置き、足を組んで座っていた。
髪や服装など身なりはきちんと整えてはいるが、
如何に身を綺麗に飾り立てようと、意味はあるまい。
いくら飾り立てようと、自らのさもしい心根は隠せまい。
と、そんなことを考えているうちに電車はホームに着いた。
電車を降り、階段を駆け下り、駅を出た。
ふと、空を見上げる。
青白く光った三日月があまりに美しい。
In the tranquil landscape, man beholds somewhat as beautiful as his own nature.
という一節が頭に浮かんだ。
2009年11月17日火曜日
Learning of English from Child
In the modern era of expanding globalism, willingly or not we should use
English in everyday life: making researches and speeches in a specialized field, working
for a company, operating business; as a result, there is a growing movement to improve
skills of it by learning from an early age.
But I'm not myself convinced that children should take time to study English,
reducing the time to spend for other subjects: Japanese, arithmetic, science, history.
And that's not that in any way I want to dismiss the value of command of English; it's
not that I haven't recognized the importance of English as a tool for playing an active
role internationally. What I mean is whether it is a wise choice to spend their precious
time on low-level and stereotyped English conversations, such as, 'How are you?' 'I'm fine,
and you?' I think it is the most important for us to have children study Japanese harder
and foster their intellectual spirit, attitude and curiosity toward learning, for we as
native Japanese, can take most profound and sensitive action of thought when we use
Japanese language.
English in everyday life: making researches and speeches in a specialized field, working
for a company, operating business; as a result, there is a growing movement to improve
skills of it by learning from an early age.
But I'm not myself convinced that children should take time to study English,
reducing the time to spend for other subjects: Japanese, arithmetic, science, history.
And that's not that in any way I want to dismiss the value of command of English; it's
not that I haven't recognized the importance of English as a tool for playing an active
role internationally. What I mean is whether it is a wise choice to spend their precious
time on low-level and stereotyped English conversations, such as, 'How are you?' 'I'm fine,
and you?' I think it is the most important for us to have children study Japanese harder
and foster their intellectual spirit, attitude and curiosity toward learning, for we as
native Japanese, can take most profound and sensitive action of thought when we use
Japanese language.
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