2009年6月4日木曜日

「だって、にんげんだもの」の考察

一生勉強、一生青春。
うん、これは納得できるまさしくその通り。
そう、あいだみつおのことばである。

くるしいことだってあるさ 人間だもの

まようときだってあるさ 凡夫だもの
あやまちだってあるよ おれだもの

しかし、この言葉はものすごく、納得ができない。
何か、こう自己の弱さを「人間だもの」という言葉で、
全肯定しているかのようであるからだ。

たしかに、日々生活を送っているときに、
何もかもが嫌になるようなときがないわけではない。
しかし、
「だってにんげんだもの」は弱さを肯定してしまう点で、
その言葉を用いる人によっては、極めて有害に働くおそれがある。

いいよ、失敗したって、人間だもの
いいよ、愚痴をこぼしたって、人間だもの
これでは
、自己成長がなくなってしまうのではないだろうか。

そんな言葉よりも、(スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫から抜粋)
「不可能という言葉は愚者の辞書に見ゆるのに」

「強者と弱者の違い、偉人ととるに足りない人間との違いは、
その人間が旺盛な活力と不屈の決意をもっているかどうかに、かかっている。
ひとたび目標が定まったら、後は勝利か死のいずれしかない。
そう断じきる決意が大切なのだ。旺盛な活力と不屈の決意さえあれば、
この世に不可能なことは一つもない。逆に、それを備えていなければ、
どんなに才能や境遇やチャンスに恵まれていようとも、
二本足で歩く動物の域を出ず、真の人間にはなれないだろう」
という言葉のほうが、高見を目指す活力を与えてくれると感じる。

とはいっても、「だって、人間だもの」という言葉が必要だなと思う人がないわけでない。
それは、あまりにも責任感、義務感が強い人達である。
だけど、そんな人たちは「だって、人間だもの」の言葉に見向きもしないかもしれない。
何か、矛盾する結論となってしまった。

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