2009年12月2日水曜日
我ガ研究ハ是戦争也。
先日、斉藤秀三郎によって作られた辞書である、「熟語本位英和中辞典」を購入した。
今は、絶版なのでオークションで手に入れた。
この著者である斉藤秀三郎は生涯を通じて「英会話文法」
「実用英文典」四巻をはじめ二百冊以上の著書を遺した。
そして、その内の一八八九年から九九年にかけて出版した
「実用英文典」四巻は日本の英語学界にこれほど浸透した
英文法の本はないと云われるほどの影響を与えた。皆さん
ご存じの「経験を表わす現在完了形」というのは、
当時英米で出された文法書にすら載っていなかったのに、
秀三郎が著書に記載したものだった。秀三郎は母国語を
操る英語学者より、数十年先んじていたと云われている。
このような非常に優れた英語学者なのだが、相当変わり者
であったらしい。以下彼の逸話を断片的ではあるが挙げていく。
秀三郎は、造船技師になるつもりで、東京工部大学校に
入学したが、英学に対する興味を押さえきれず、後に夏目漱石の師となる
ジェイムス・メイン・ディクソンに師事し、猛烈に勉学に励み、
学校の英書を全て読み尽くし、「大英百科事典」を二度も読んだ。
ところが、彼の反権威的な気性のため、学校当局としばしば
問題を起こし、放校となってしまう。その後、仙台に帰って教師として
赴任するも諍いを至る所で起こし、長続きしなかったようだ。
このように問題ばかり起こしていたのだが、たまたま東京から
知人の教師を訪ねて来ていた学習院教授に、その驚異的な英語の実力
を認められるに至り、東京の第一高等学校に教授として就任すること
になる。彼が二八才の時である。
それから、三年後、秀三郎は神田錦町に正則英語学校を創立し、
自ら校長となる。恐ろしく短気な秀三郎は、板書の時には左の手で
消しながら右手で書いていくという風に猛烈なスピードで授業を進め
たらしい。授業中に生徒が立つと、振り向いて一喝し、生徒が
「便所に行く」というと、「そこでおしなさい」といった調子だった。
また、時間に非常にうるさく、家の時計は全て正確でなければ
気が済まず、皇居の中で打たれた正午を報せる空砲に合わせて、
斉藤家の書生達が一斉に時間を合わせるほどであった。床屋で
何分で刈るようにと申しつけると、散髪が途中でも帰ってしま
うような徹底ぶりだったようだ。
秀三郎は日曜・祭日もなく、英語の研究に没頭し、
「俺の研究と云うのは是は戦争だよ君。
英語の研究と云うものに対して俺は戦争しているようなものだ。
俺の心理は戦争心理だ。」と弟子に語っていたらしい。
そのような、秀三郎も「俺の頭を休めるのは酒より外にない。
酒を飲ますのは女だから」といって、料亭に芸者を呼んで馬鹿騒ぎもした。
しかし、秀三郎の大酒は研究の妨げになるどころか、小唄が出れば、
右のポケットから白い紙片を取り出しては英訳をし、左のポケットに
収めたらしい。実際に彼が作った「和英大辞典」には
都々逸や喇叭節の英訳も入っている。
このように、秀三郎の研究というのは徹底していたらしい。
生活そのものが研究みたいなものだ。これを読んだとき、
私は「斉藤秀三郎みたいに勉学、研究に励まねば」という気持ち
になり、大いに励まされた。
俺の勉強も戦争なんだ。
歩みを止めるべからず。前進あるのみ!!
日本の浮沈は我が勉強にあり!!
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